これは今年の7月末の話です。私は普段は東京で大学に通っているのですが、夏休みを利用して地元の新潟に帰省しました。私の実家はお寺なのですが、前に知り合いの住職さんに誘われて申し込んだ、旧満州地方開拓民の慰霊旅行に参加するためでした。
旅行は主に新潟から黒龍江省のハルビンに向かい、そこから各地の日本人公墓を回って法要を行うというもので、メンバーは添乗員の方を入れて7名(全員男性)、それに現地で通訳の男性、運転手の男性、撮影係の女性が加わりました。
私たちは2日目から各公墓を回り始めたのですが、最初は新潟県開拓民の公墓に向かい、3日目は佐渡開拓民の墓を訪ねて法要を行いました。ところが3日目はある人の提案で、別の開拓民が旧ソ連軍に襲撃を受けた場所でも法要を行うことになり、急遽車で向かうことになりました。
この場所は他の公墓のように墓碑など目印がなく、40分以上走り回ってやっと涼成という地域で場所を特定しました。場所は農道と畑の間の坂に生えている柳の木の近くで、足場が悪いことから足腰の弱かったKさんという人は車で待機していました。法要は何事もなく終わり、私たちはそのままホテルへ向かいました。
その日の夕食はホテル近くの食堂に行き、私たちは食事を食べながら談笑していたのですが、そのとき車で待機していたKさんが、さっきの法要に日本人の母子が来ていたんだけど、と話し始めました。そんな人はいなかったんだけど、と私たちは話したのですが、Kさんは見たといいます。
その親子は法要で一番最初に焼香を行い、読経が終わるとどこかに去っていったというのです。私たちのメンバーはほとんどが男性で、子どもはいません。唯一撮影係の中国人の方が女性でしたが、私は一緒に行動している人を見間違うものかなと思っていました。
そこで、私は夕食後に行った銭湯で、Kさんにその女性の服装を聞いてみました。すると女性は後ろで縛った髪を肩から前にたらしていて、エプロンを着ていたというのです。唯一一緒にいた女性カメラマンはエプロンなど着ておらず、髪型も違いました。それじゃあその親子はどこから来てどこへ行ったのでしょうか……?
私自身は、直接その親子の存在を確認したわけではないのですが、親子が一緒に法要に参加していたと聞いて、ありがたいような、怖いような不思議な気分になりました。