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私的心霊論

はじめに

サイト開設&心霊スポット巡りを始めて7年が経ち、自分にとって霊というものの捉え方が変わってきたので、この辺で整理して書き記してみようかと思います。

霊という存在について否定的とも取れる考え方なので、心霊至上主義の方は不快になるかもしれませんが、サイトをご覧になっている方や心霊オフ会に参加してみようと考えて下さってる方には私がどんなスタンスでスポット巡りをしているのかを知ってほしいという思いからこのようなページを作りましたので、ちょっと長いですが最後までお読み頂ければ幸いです。

残留思念

私は基本的に、自分の目で見、自分の身で体験したことを信じています。ですから幽霊を見たことがない私は、そもそも幽霊について半信半疑でした。そして今では、幽霊はいない、または人間が考えている形での幽霊は存在しないと確信を持って考えています。誤解しないでほしいのは、幽霊とは「人が死んで魂が霊体となって現世を彷徨っている」姿のことで、それを「人間がそのような形で捉えられるはずは無い」と考えている、ということです。

人の想いというのはとても強いものですよね。強く信じることで窮地を乗り切ることもあれば、強く恨むことで自分も相手も不幸にしてしまうこともあるでしょう。そしてそれは、本人の肉体がこの世から消えてしまった後も残ってしまうほど強いものなのかもしれません。

自殺の名所や事故が多発する交差点。こういったものにはやはり強い負のエネルギーが溜まっているのだと思います。死んだ本人の無念さや、残された方の悲しみ。そして「この場所は人が死ぬ場所」と聞いた人たちが持つ、ネガティブな想い。そういった負のエネルギーは人のマイナス思考を呼び起こし、その場所にはさらに負のエネルギーが溜まって行くのではないでしょうか。私はこれを「霊」ではなく「残留思念」だと考えています。

霊感

俗に言う「霊感が強い・弱い」ですが、これは前述した「残留思念」を感じ取る力が強いか弱いかだと思います。きっと誰にでもその力はあって、例えば身近な人が死んだ時に嫌な予感がしたり夢枕に立ったりするのがそうなのでしょう。

普通の人は心の通じ合っているごく身近な人の思念しか感じないものが、そういったものに敏感な人はより多くの思念を感じ取ってしまうのかもしれません。これが霊感と呼ばれるものの強さの違いかと思います。

予言の自己成就

予言の自己成就とは、それが事実であれ誤った考えであれ、ひとつの予言や期待を他者にかけることにより、予言通りまたは期待通りの結果に向かってしまうことを言います。

心霊現象で言えば「あそこのスポットへ行くとXX日以内に事故にあうんだよ」と聞かされて行った人が、何も知らなければ気にしなかったものを「自分はスポットに行ったから事故にあってしまう」という恐怖と焦り(の思い込み)から注意力が散漫になり、実際事故に遭ってしまう…というもので、祟りや霊障のほとんどはこれに当てはまるのではないかと思います。

妄想と幻覚

心霊スポットと呼ばれる場所で幽霊の目撃談が多いのは、こうした思い込みからではないでしょうか。人は生きていれば必ずどこかで怪談話を耳にしているし、ホラー映画だって目にしているでしょう。その内に「映画だったらああいう木の陰から幽霊が出てくるんだよな」と無意識に考えるようになります。そして実際、夜にそのような場所に行ったとして、暗闇を恐ろしいと思う本能が無意識下で想像を働かせることにより実際には無いものを見てしまったり、ただ視界に映った気がしただけのものを「幽霊だ!」と思い込んでしまうのではないでしょうか。

これは何も夜の心霊スポットだけで起こることではないでしょう。ようは思い込みなので、本人の精神状態や体の疲れ具合などによって、いつ見てもおかしくないと思います。人間は「妄想し」「幻覚を見る」生き物なので。

私は虫が大嫌いで、特に夏になるとよく出る黒い『アレ』は死ぬほど怖いです。なので夏場は家の中に出ないかいつもどこかで気にしているため、そんなことを考えていない時でも視界の隅で何かが動いた気がすると「ヤツだ!」と思ってしまいます。……幽霊の正体とどこか似ているような気がしませんか?

結論

人は死んだら無になる、というのが私の持論です。ですから幽霊はいないと考えます。残留思念は生者も死者も関係なく、人がその場に残していった思いの欠片であり、魂の欠片ではありません。

私は無宗教ですが、少なくとも悪質な新興宗教以外の信仰を否定するつもりはありません。前述したように、いい意味でも悪い意味でも人の思いはとても強く、それが命を救ったりする所謂「奇跡」というものも存在すると思っているからです。

ですから、不幸な亡くなり方をした人に対し、「天国では幸せに暮らしている」「今度生まれ変わったらきっと幸せになる」と考えることは間違いじゃないし、事実、私自身もそう願うことが多々あります。矛盾した考えのように聞こえるかもしれませんが、天国や地獄という考え方や魂の生まれ変わりという宗教的な考え方は、そもそも生きている人間の心を救うために考えられたもので、それに縋る情を否定することと幽霊の存在とは何の関係もないように思います。

では何故心霊スポット探索をしているのかと言えば、それは幽霊を見るためです。……いいかげん張り倒したくなってきました?('∀`) でも、ここまで書いてきたことは、すべて私という個人が捉えている感覚と思考の結果辿り着いただけのもので、それが真実とは誰にも言えませんし、私自身にもそれを裏付けることはできません。

それが出来るのは「幽霊を見た時」だけです。寝ぼけていたり疲れていたり恐怖を感じている時ではなく、私自身が「絶対に見た」と言える状況で幽霊に遭遇した時にだけこの考えは変わるでしょうし、私も世界には人間が知ることの出来ないものがあったのだと知りたい。

それは誰にも証明する必要などなくて、私だけが確信できればいいのです。確かに、私も人間ですので妄想や幻覚を見ないとは言えません。でも少なくとも虚言癖はないですし、幽霊が見えると吹聴するメリットが私にはありませんので、自分のことは信じられます。

仮に霊や神というものが存在したとしても、それは人間が人間である以上絶対に知ることの出来ないものだとは思っています。そういう意味では不可知論的な考え方なので、否定するという行為はおかしいとは思うのですが…。

それでもいつか何かの間違いで、知ることの出来ないはずのものに触れることが出来たら。それは単純にとてもわくわくすることで、とってもロマンがあるなぁと思うのです。だからそれまで、幽霊を信じることはできなくても幽霊を見る努力を続けようと思っています。